そもそも日本における樹木葬が広まるきっかけは、岩手県一関市にある知勝院といわれています。

1999年頃、知勝院の墓域に指定された里山に小さな穴が掘られ、その穴の中に遺骨を埋めて土を戻し、その上に苗木を植樹する方法でした。

基本的に人工物を設置するのは禁止だったので、故人の名前が記された木札が立てられているだけで、墓石も無ければ骨壺をおさめる部屋であるカロートもありません。

契約者は埋葬箇所から半径約1メートルの範囲の区画を利用する権利を与えられおり、その区画を33年間利用できるようになっています。これは33回忌に合わせてのものです。

この知勝院の樹木葬がモデルケースとなり、徐々に全国に樹木葬が広がっていきます。

しかし、知勝院の当時の千坂住職の里山保全の考え方までは正確に伝わることが無かったと言われています。

元々知勝院では、その土地に生息していて大きく成長しないエゾアジサイやヤマツヅジ、ガマズミ、ナツハゼといった花木が予め指定されており、その中から好きな苗木を選ぶようになっていました。
将来的に大きくなりすぎて、お互いに邪魔にならない配慮があっての事でした。

しかし、知勝院をモデルケースとした他の樹木葬墓地では、契約者が好きな木を自由に選べる場所もあり、将来の管理について難しくなるケースが後々になって問題になってきている墓地も出てきてしまっています。

それぞれの墓地経営者の考え方や購入希望者のニーズの多様化の影響を受け、様々な形の樹木葬霊園が今も増加中なのです。